それから、いつもと変わらぬ日々が流れた。誠一はほぼ毎日喫茶店を訪れ、美穂とその両親のいずれかが接客するのだが、美穂は誠一が来る時間帯には、できるだけ店に出るように心がけていた。少しでも、誠一と言葉を交わしたいからだったが、お互いに、事務的な会話以外に交わすことはなかった。両親のいる手前もあった。 そんなある日のこと。美穂の父親が体調を崩してしまう。はじめ、単なる風邪だと部屋で寝ていたが、熱がどんどん高くなっていく。 「ねぇ、あなた。病院に行った方がいいんじゃありませんか?」 と、妻に言われるも、 「いや、寝てたらなおるさ」 の一点張りだった。けれども、調子は悪くなるばかりだった。長年の心労のせいかもしれない。そういえば、もう随分、休みを取っていない。定休日といえども、なんやかやとやることがあり、休養を取る暇などなかったのだ。 「今日は店を休みにして、病院に行きませんか?」 と妻は提案した。店を休業することを夫は嫌っていたが、妻が無理矢理にでも連れて行かない限り、病院に行くことはないだろうとの判断からだった。 「何言ってんだよ。店を休んじゃいけない。どれだけの人に迷惑がかかると思ってるんだ」 妻は悩んだ。往診を頼もうかと思ったが、宛がない。 そんな両親のやりとりを見ていた美穂が、 「じゃあ、私がお店にいようか?」 と言い出した。まだ経験が十分とはいえないが、とくに問題なく店のこともできている。混雑時に間に合うように戻ってくれば、なんとかなるだろう。そう判断して、両親は美穂に店番を任せて、病院に行くことにした。 病院に行ったところ、風邪をこじらせて肺炎を患っていたことが分かった。そこで、念のため入院するように言われてしまう。夫を入院させ、妻だけとりあえず店に戻った。 「ねえ、美穂。お父さん、肺炎になってしまったんだって。だから、しばらく入院するって」 「ええっ、それはたいへん」 「だから、早く病院に行った方がいいって言ったのよ」 「どれぐらいでなおるの?」 「さぁ、薬を飲んで、安静にしてれば、すぐに退院できるって、先生は言ってたけど…」 「じゃあ、一安心ね」 「でも、お見舞いに行かなきゃいけないし…」 「分かった。お母さんが病院に行く間は、私が店にいるから、心配しないで」 「ありがとう。頼むね。混雑する時間は、私もできるだけいるようにするから」 結局、この日も昼食時間帯は二人で店をしたが、昼すぐに、母は病院に向かった。 美穂は一人で店にいた。昼間はたいへん混雑していたが、一人、また一人と、客は帰っていき、店には誰もいなくなった。 (お昼の時間が過ぎちゃうと、暇だなぁ…) と美穂が思いながら店を片付けていた。 ふと気がつくと、美穂が来ている服が汚れていた。 「あれっ、なんだろう?」 それは、ソースか何かのシミだった。かなり目立つシミだ。 「これじゃ、恥ずかしくてお店に出れないわ。着替えないと…」 と呟きながら、美穂は店の奥に行き、着替えることにした。汚れた服を脱ぎ、上半身は下着があらわに露出した姿になったとき、店の電話が鳴っているのに気づいた。こんな格好で店に出るわけには行かないと思いながらも、 「今ごろなら、どうせ誰も来ないか」 と思って、美穂は厨房にある電話へと走っていった。 電話は 「にぎりの出前をお願いします」 という、間違い電話だった。相手は近所の寿司屋にかけたつもりらしいが、電話番号が似ているせいか、よく間違い電話があって困ると母親がぼやいていたのを思い出す。 「もうっ」 と、少しぷんぷんしながら、美穂は着替えをするため自分の部屋に戻ろうとしたとき、店のドアが開いた。(つづく) |