大学院に行こうかな?でも、その前に…

 私がなんのためにこんなページをつくっているのでしょうか? そんなことは、分かる必要はありません。たいして重要ではないし、深い意味があるわけでもありませんから。単なる暇つぶしみたいなものです。そして、ただ気まぐれに、書いておきたいことがあるから、書いているだけです。
 しかし、それならテーマはなんでもいいはずです。数多あるテーマの中から、今回大学院を選んだのは、その問題が深刻であるにもかかわらず、あまり知られていないからです。
 『高学歴ワーキングプア』という本が出版されました。どれぐらい売れているか知りませんが、おもしろい本です。大学院生のこと、大学院を出たあとのことを知りたい人はぜひ読んでください。本を読むまで行かないという人は、創作童話「博士(はくし)が100にんいるむら」を読んでみてください。(このサイトからもリンクしています)
 それでだいたいのことは伝わります。だから、私があえて書くようなことはありません。このコーナーをつくったのは、私の知人からの提案によります。私がせっかくサイトをもっていて、しかも時間をもてあましているから、だったら大学院のことをいろいろと発信してほしいということでした。資料室に納めさせていただいたものの中には、その方から教えていただいたものがたくさんあります。

 ここでは、大学院がどういうところかを説明する前に、どういう人が大学院に向いているのかを考えてみたいと思います。
 なお、とても無責任な言い方ですが、私は大学院のことに精通していると自信をもって言えるわけではありません。私の知っていることは限られています。その限られた知識、および知人からの情報提供に基づいて書いています。

 大学院は学部の延長でしょうか?

 学部は授業(講義)を受けることが基本です。受け身の姿勢がいいというわけではありませんが、実際は受動的といえるでしょう。やらなくてはならないことは先生から指示されます。レポートを書けとか、宿題をやってこいとかです。(その意味で、高校までと似ていると言えるでしょう)
 ところが大学院は違います。最初(修士課程)のうちは、まだ授業もありますが、先生が講義をすることは少なく、受講者で分担して発表するというスタイルが主流です。したがって、受講者というのは適切な表現ではありません。
 院生が指定された論文を読んできて、それを要約して発表する形で授業は進みます。発表のあと、中身についてディスカッションをします。先生も院生もメンバーの一人ですが、院生が分からないことがあれば、先生がその場で教えてくれます。大学や研究科によって人数は異なりますが、学部よりも少人数であることは間違いありません。教室でマイクが使用されることは、まずありません。
 学部では黙って授業を受け、ノートを取るというスタイルがむしろ一般的ですが、大学院で黙って授業が終わるということはほとんどありません。必ずと言っていいほど、発言を求められます。それぐらいに、参加しなければならないということでしょう。
 そして何より、自分の研究をしなくてはなりません。院生はそれぞれに研究テーマというのがあります。特定の文学作品に関する研究とか、制度に関する研究などです。理系の場合は、実験が中心になります。パソコンや携帯電話を使って、具体的なものをつくることもあります。
 研究はただ本を読むだけでなく、実験するだけでもなく、そこから分かったことを外部に示さなくてはなりません。お勉強と研究の違いは、ここにあります。この一連の過程が研究なんだろうと思います。お勉強はあくまでも消費です。誰かが書いた本や論文を読んで感心したり感動したりして知識を増やしますが、そこからは何も産まれません。消費といったのはそのためです。一方、研究は生産です。お勉強している人たちに消費してもらうような知を生み出す作業です。
 したがって、学部と大学院との違いは、消費なのか消費+生産なのかということになるのではないかと私は思います。

 大学院を出たらお金持ち?

 先に結論をいうと、そんなことはありません。むしろ、大学院生は貧乏ですし、大学院を出てもそれは続きます。100人の村を参照してください。お金持ちになれるのは3分の1程度です。それ以外の人は貧乏で不安定な生活が待っています。
 機会を改めて書きますが、大学院生にはいろいろと融資?があります。それで一瞬でもお金持ちになれることも場合によってはあります。しかし、それは一時的なものでしかありません。そして、それにすらありつけない人がその数倍います。
 また、大学院生の多くは奨学金をもらっていますが、これは給付ではなく貸与です。あとで返さなくてはいけません。要するに借金です。日本学生支援機構(旧日本育英会)の奨学金が有名ですが、申請すれば年間100万近く貸してくれます。学部のと違い、親の収入は関係ないので、たいていの人は借りられます。そうすると、修士課程修了時点で200万、博士課程修了時点で650万(博士課程は修士課程より金額が多い)の借金を抱えることになります。日本学生支援機構以外からも奨学金を借りた場合は、さらにプラスされますので、人によっては一千万近い借金を背負って大学院を出て行くこともあります。そして、その出口には、所得がまったく保障されていない生活が待っているのです。
 ちなみに、奨学金は卒業後、毎月少しずつ返していきます。借りた額によって違いますが、数百回に分けて返すことになる場合もあります。数百回=数百ヶ月です。何年かかることやら…
 したがって、大学院を出て高収入など、まず期待しないことです。中にはそういう人もいますが、それはサクセスストーリーです。司法試験の合格体験記みたいなもんだと思っていいでしょう。司法試験に合格して華やかな?生活をしている人がいる一方で、挫折して厳しい生活を余儀なくされている中年?の人がいることを忘れてはなりません。

 先生に勧められたけど?

 学部でそこそこ真面目にしていて、そこそこの成績を修めていたら、大学院に行かないかというお誘いが来ることがあります。ただ、これは「お勧め」ではなくて「お誘い」であることを理解しましょう。
 今や、少子化の影響でどこの大学も経営が厳しい状況にあります。学生を一人でも多く取りたいというのが、大学経営サイドの考えでしょう。もちろん、誰でもいいわけはなく、真面目で優秀でやる気のある人に来てほしいというのは、大学の先生なら誰でも考えることでしょう。そうすると、自分の学部のゼミ生で優秀な学生がいると、大学院に引っ張りたいと思うのはごく自然なことです。優秀だから呼ばれたと喜んでいるかも知れませんが、「豚もおだてりゃ木に登る」が如く、要するに、学生は大学当局や教授にとってカモなのです。おだてるのにお金は要りません。口で商売してる大学教授にとって、おだてることなんてお手の物。うまく説得して、大学院進学を決意させ、学費を納めさせることがねらいです。そして、研究する力があれば、あわよくば研究室の手伝いをさせようと考えます。安い労働力を手に入れることができるのです。しかも自分に従順な、です。もう、願ったり叶ったりじゃないですか。
 大学の先生から勧められたからとただ喜んでばかりもいられません。それは先生にとっては営業活動でもあるわけです。

 お金持ちになりたい人、安定した職に就きたい人、勉強は好きだが知の消費だけでいいという人は、大学院に行く必要はないと思います。勉強は図書館でできます。お金が許せば、自分で本を買えばいいですし、仕事をしていたら勉強の時間がなかなか取れませんが、まとまった時間を作って勉強がしたければ休職してもいいでしょう。休職はプラスがゼロになったとしても、マイナスはありません。でも、もしも休職して大学院に行けば、学費という支出=マイナスが生じます。
 逆に、いろいろと勉強をして自分なりに考え、知の生産活動に携わりたい人は大学院をめざすべきです。生産活動の形態は学問領域によって異なりますから一概には言えませんが、抽象的にいえばこういうことになると思います。


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