この原稿を書くにあたり、横山さん(仮名)をはじめとした日本学術振興会特別研究員の方々より情報を提供していただきました。お礼を申し上げます。また、他に参考になるご意見を頂戴した数多くの方にも、感謝いたします。 この原稿では、日本学術振興会特別研究員(通称「学振」=がくしん)について書いています。ただし、学振を受けようとしている大学院生向けのものではありませんので、くれぐれも誤解しないでください。(そういう方は、もっとためになるページを見てください)と思いましたが、途中に学振申請マニュアルのようなものを載せることになりました。そこは参考になるかも知れません。(これは学振に採用された方に匿名で書いていただいたものです。協力してくださった方に感謝します) この原稿を書くに当たっては、学振に採用された方と採用されなかった方からそれぞれ情報を提供していただきました。それぞれ複数名からの証言に基づいて書いていますが、ここに書いてあることがすべてではありません。 特別研究員という制度 日本学術振興会特別研究員は独立行政法人日本学術振興会(以下、学振と書きます)という組織が若手研究者を支援するためにできた制度です。大学院生に対する奨学金制度とは似て非なるもので、研究者が学振に採用を申請し、選抜を経て合格すると特別研究員として採用されます。採用されると、月々20万〜が研究奨励金(実質は給料)として支払われます。使い道は自由で、使途不明金で問題ありません。 特別研究員には大きく分けてDCとPDがあります。DCは大学院博士課程の院生に対する在学採用です。採用された場合、院生は院生の身分のまま大学院に所属し、他の院生と同様に学費を納め、共同研究室などの研究設備を利用します。ただ、他の院生と異なる点は、毎月20万円もらえる、ということです。とくに何か仕事をしなければならないわけでもなく、他の院生と同じように研究しているだけで、毎月20万円勝手に振り込まれます。DCにはDC1とDC2があります。DC1は博士課程1回生から3回生までの3年間採用されるものです。修士課程2回生の時に出願(=申請)します。申請のチャンスは1回キリです。採用されると、毎月20万が3年間もらえます。DC2は博士課程2年目以後の採用で、期間は2年間。こちらも金額は20万で、2年間もらえます。他方PDは博士課程修了者が対象となります。こちらはDCよりも待遇が良く、DCの2倍近い36万円が毎月もらえます。採用期間は3年間です。さらに優秀な人にはSPDとして、毎月44万円もらえるようです。PDの人たちは大学院博士課程を修了していますから、学生の身分ではありません。しかし、学振が採用したからといって学振で働くわけではなく、どこかの大学に受け入れてもらい、そこにいる院生たちと一緒に研究します。自分の出身大学にPDとして在籍することはできません。若手研究者の交流も図られているようです。 特別研究員に採用されるまで 申請書は以下のようになっています。(ここではDCについて書いています) 1.申請資格等 ここには自分に申請資格があることを書きます。履歴書のようなものですが、現在誰のもとで研究しているか、採用後は誰を研究指導者とするかなどを書く書類です。研究課題を除いては、研究の中身に関係のあることは何一つありません。 2.現在までの研究状況(約3000〜3500文字) @これまでの研究の背景、問題点、解決方策、研究目的、研究方法、特色と独創的な点 A申請者のこれまでの研究経過及び得られた結果 @には、なぜこんな研究をしているのか(しようと思ったのか)、どういう問題があるのか、それをどうやって解決してきたのか、研究する目的は何か、その研究はどういう方法で行うのか、その研究が他の研究と比べてどういう特徴があってそれがいかに独創的なのかを書きます。 Aでは、今までの研究の経過を書きます。何を調べ、そこから何が分かり、それをどうやって発表したかなどを書くところがここです。 ここは過去のことを書く場所です。(DC1の人は、学部から修士課程までにやってきたことを書いていくことになります) 3.これからの研究計画 (1) 研究の背景(約1000文字) 自分がこれからやろうとする研究の背景について書きます。 (2) 研究目的・内容(約2000文字) これから何のために研究をするのか、どういう方法で研究していくつもりなのかを書いた上で、研究の内容を具体的に書きます。 (3) 研究の特色・独創的な点(約1000文字) 自分のやろうとしている研究が既存のものと比べてどのような特徴を持っているか、オリジナリティはどこにあるのかを書きます。 (4) 年次計画 採用期間(2ないし3年)の間のタイムスケジュールを書きます。1年目のいつ頃に何を調べ、それをいつ頃のどういう学会で発表するかなどを書くところです。 4.研究業績 (1) 学術雑誌等に発表した論文又は著書 (2) 学術雑誌等又は商業誌における解説、総説 (3) 国際会議における発表 (4) 国内学会・シンポジウム等における発表 (5) 特許等 それぞれに分けて書きます。事実をありのままに書くだけです。 5.自己評価(約2000文字) 申請者自身の自己評価を書くところです。自分がどういう人物であるか、とくに自分の長所を書きます。そして、自分が将来どういう研究者になろうとするか、強調して書いた方がいいでしょう。 これに評価書という内申書のようなものを合わせて提出します。内申書は指導教授に書いてもらいます。 こうしてできあがった書類で書類審査が行われます。書類審査だけで合格する人と面接試験に呼ばれる人がいます。(本来は面接試験があるのですが、書類だけで合格する人は面接免除という形になります) 面接は東京で行われます。面接試験を課された人は全員東京まで行かなくてはなりません。面接時間は10分間です。面接ではA0のポスターを用意し、そこに自分の研究について書きます。そのポスターを使って最初の4分間でプレゼンを行います。この時、持ち込めるのはポスターのみで、メモ等を持ち込むことは許されません。プレゼンが終わると質疑の時間です。いろいろと聞かれますが、6分間です。時間になると終わります。延長はありません。 面接の結果、合格になる人と落とされる人がいます。 特別研究員に採用されると 既に述べたように、特別研究員に採用されると、研究奨励金と称して給料が振り込まれます。普通に大学院生をしているだけで、お金がもらえます。奨学金と違うので、返還の義務も当然ですがありません。 ところが、もらえるものはそれだけではないのです。特別研究員には自動的に年間150万円の科学研究費補助金が与えられるのです。この科研費は研究に必要なものを買うためのお金です。つまり、研究に必要なものはこのお金で買うことができるわけですから、毎月の給料はそれ以外に使うことになるでしょう。生活費や遊興費ということになるのではないでしょうか。研究奨励金という名称ですが、実に不思議な感じがします。 なお、科研費は150万円が年間の上限額です。実験をしない人の場合には60万程度のようです。科研費は本人の口座に入るのではなく、所属する研究室に入ります。 特別研究員は給料をもらっても働く義務はありません。義務として定められていることはただ一つ。研究に専念することです。したがって、他にアルバイトをすることは禁止されてしまいます。そして、出産や育児を除いて休職することができません。また、34歳以下の人しか出願資格がありません。そのため、社会人入学の大学院生は、いくら優秀でも特別研究院には採用されません。社会人を積極的に受け入れるという大学の方針とは矛盾しているとしか言いようがないでしょう。 特別研究員になったけれど… 横山さんは特別研究員(DC1)に採用されました。3年間、毎月20万円をもらって研究することになりました。しかし、横山さんは学部の頃から自宅近くの居酒屋でアルバイトをしていて、バイト先では頼られる存在でした。横山さんにとってバイトは、単にお金を稼ぐだけでなく、自分の存在を確認する場でもあったのです。横山さんはバイトを辞める気など毛頭ありませんでした。 修士2回生の時、修士課程を修了した後は博士課程に進学する予定にしていた横山さんは、指導教授から学振に申請するように言われました。そこで、自分のこれまでの研究や今後の計画について、書類を作成しました。とくに業績があるわけでもなかった横山さんはすべてを埋めることができませんでした。 書類を指導教授に提出して数日後、横山さんは教授から呼び出しを受けました。教授の研究室を訪ねてみると、横山さんが提出した申請書をもとに教授が作成した申請書が手渡されたのです。横山さんは驚きました。それはとても自分が考えたものではなく、自分の文章でもなく、確かに自分のテーマではあるものの、まるでスケールの違うものでした。しかし、自分のために教授がわざわざ書いてくれた申請書を使わないわけにはいかず、結局横山さんはこの書類を学振に提出してしまったのでした。 この書類は横山さんが研究しようとする内容ではなく、教授が横山さんに研究させたい内容が書かれたものだと言っていいでしょう。 学振からは面接試験に来るようにとの通知がありました。横山さんが指導教授に報告すると、今度は面接の特訓が始まったのでした。プレゼンの内容は教授が考え、想定問答集まで作られ、横山さんはただそれを覚えるだけでした。面接当日、横山さんは教授に指示された通りに研究の概要を述べ、面接官からも概ね想定通りの質問を受け、それに想定通りの回答をしました。そして横山さんは合格し、特別研究員として採用されることになったのでした。 特別研究員に採用された横山さんを待ち受けていたのは、毎月20万円の振込だけではありませんでした。研究に専念することが義務づけられ、今までのアルバイトを辞めざるを得ませんでした。自分を頼りにしてくれていた居酒屋を去ることは、横山さんにとっては苦しい決断でした。自分の生き甲斐となっていた居酒屋での仕事を、横山さんは辞めたくなかったのです。しかし、研究専念義務というルールにより、横山さんはバイトを辞めます。 研究以外は何もしなくてもよくなった横山さんですが、その研究は当初自分がしたいと思っていた研究ではなく、教授が横山さんにしてほしい研究でした。もちろん研究の大枠は同じでしたが、その方法などの具体的なところに大きな違いがありました。横山さんはそのやり方が自分で納得できないまま、研究を始めることになりました。しかし、研究がおもしろくなく、思うように進まず、ゼミ報告でも結果の出せない横山さんは周囲から厳しい批判を浴びる日々が続きました。しかも周囲の院生たちは研究だけしていればお金がもらえる横山さんをうらやましく思い、ひがんでいたのです。 やがて横山さんは精神的なストレスから体調を崩してしまいました。登校拒否のような症状だったとも、鬱だったとも言われていますが、本人もよく分からないそうです。研究が思うように進まない横山さんはしばらく休養を取りたいと思うようになりました。そこで、指導教授に休学したいと伝えたのですが、あっさり跳ね返されてしまいます。実は日本学術振興会特別研究員は出産や育児の場合を除いて、休むことができない決まりになっているのです。本人が病気になっても、事故で怪我をしてしまっても、休学することすら許されないのです。入院しても研究専念義務があるという恐ろしい制度です。 ストレスや鬱の症状がある人にとって、休むことができないというのは最悪です。しかも研究に専念しなければならないという義務はプレッシャーとなってつきまといます。やがて横山さんは自殺を考えるようになります。横山さんに自殺を思いとどまらせているのは、教授でも研究室の院生でもなく、家族や友人たち(かつてのバイト仲間)の支えでした。彼らを悲しませたくないという一心で、横山さんは生きています。しかしそれでも、研究しなければならないというプレッシャーは日々感じ続けています。 典型的なばらまき行政 日本学術振興会は文部科学省所管の独立行政法人です。その財源は税金です。それを研究費として大学や研究者に配分することが主な仕事です。特別研究員制度は、優秀な若手研究者を支援するためにできた制度と言われています。しかし、本当にそうなのでしょうか? DC1の場合、申請書を提出するのは修士論文を書く前です。その段階で、その院生の研究内容や将来性がどこまで判断できるのか疑問です。また、まったく異なる研究テーマを選考の結果順序づけ、合否を判断するわけですが、それが果たして可能なのでしょうか? すでに書きましたが、年齢制限の問題があります。さらに、いったん採用すると期間中はよほどのことがない限り資格が剥奪されることはありません。研究専念義務についても、他のアルバイトを禁止することまではできるでしょうが、実際に研究しているか遊んでいるかまでは把握できないでしょう。 申請する時期に審査はあるにせよ、その後はお金を出すだけです。これはもう、典型的なばらまき行政というほかないでしょう。これで学術を振興していると、本当に言えるのでしょうか? もちろん、特別研究員に採用され、すばらしい成果を残している人もたくさんいます。しかし中には、採用された達成感から気がゆるみ、怠けて遊んでしまう人もいます。また、先に挙げた横山さんの事例のように、研究することが逆にストレスとなり、精神的に苦しい思いをしている人もいます。 特別研究員という制度があることは世間ではほとんど知られていません。日本学術振興会という独立行政法人の存在も、ほとんど注目されていないでしょう。そして、特別研究員に採用された人たちにさまざまな苦悩があることなど、大学院生ですら知らない人もいるでしょう。もうこれ以上苦しむ人が出ないことを切に願っています。 |