この原稿を書くにあたり、川村さん(仮名)とその周囲の方々より情報を提供していただきました。記してお礼申し上げます。また、他に参考になるご意見を頂戴した数多くの方にも、感謝いたします。 なお、この話はある程度実話に基づいたものですが、関係者が特定される危険を回避するため、具体的なエピソードはまったくのフィクションであることを最初にお断り申し上げておきます。 甘い誘惑 川村さんはたいへん真面目な性格の方です。何事にも一生懸命取り組み、曲がったことは大嫌いというタイプの人です。そんな川村さんは、中学高校と受験勉強に精を出し、難関の大学に合格しました。大学に合格すると遊んでしまう人が多いのですが、川村さんは授業にも休まず出席し、サークル活動やアルバイトには関わらずに、一生懸命学業に従事しました。真面目で優秀な川村さんの姿を見て、ゼミの指導教授は大学院への進学を勧めました。 川村さんは進学するか就職するか迷いました。実家からは四年間の学費と仕送りは面倒を見てやるという約束で大学に進学しましたが、けっして裕福ではなかったため、それ以上は難しいといわれていました。しかし、川村さんは大企業の歯車のように働かされ、搾取されることに抵抗を覚え、自分はあんなのにはなりたくないと思っていました。 川村さんの心は徐々に大学院進学に傾いていました。川村さんに進学を勧めてくれていた教授は、その道ではたいへん名の通った人でしたので、その教授から「君には実力と将来性がある。是非進学してほしい」と度々勧められると、心が動くのも無理もありません。そこで川村さんは、大学院に進学した場合に実家からの仕送りが難しく経済的にやっていけるかどうか不安であることを教授に打ち明けました。それに対して教授は、大学院に進学すれば学部の時と違って多額の奨学金が借りられることを説明し、川村さんを説得しました。 大学院の入試は問題なく合格し、川村さんは大学院に進学することになりました。奨学金の申請をしましたが、やはり奨学金だけでは生活するのに十分ではなかったため、アルバイトをしようとしました。しかし教授から待ったがかかります。「君はアルバイトなどしなくてよい。将来有望な優秀な院生なのだから、別の奨学金を併用して借りればよい」と助言しました。奨学金をたくさん借りれば、それだけたくさん返還する必要がありますが、「将来お金持ちになってから返せばよい」「成績が優秀であれば返還が免除される場合があり、君はその可能性がある」といって、アルバイトをせずに研究活動に専念することを勧めました。川村さんは教授の勧めに従い、アルバイトをせずに複数の奨学金を併用して借りることを決めました。 博士課程に進学するかどうかの選択を迫られる時期になり、実家の両親からはさっさと就職した方がよいと勧められましたが、またしても教授からは進学を勧められました。「このまま進学を続ければ、借金が貯まるばかりです」という川村さんに対して教授が勧めたのが、日本学術振興会特別研究員でした。 特別研究員についてはすでに別の原稿で説明しましたので、今回は詳しくは述べませんが、給付型の奨学金に似ています。奨学金との違いは研究に専念する義務があること、すなわち他の仕事を兼業することが禁止されることと、自分で決めたテーマの研究をすることです。給与として毎月20万円が振り込まれますが、研究員と学術振興会の間には雇用関係がなく、その位置づけはたいへん曖昧なものです。 川村さんは教授の誘惑に乗せられて申請書を提出し、研究員として採用されることになりました。なお、申請書の作成についてはすでに別のところでも指摘していますが、ここでも、川村さんが自分で作成したのではなく、教授が全面的に手を加えたものだったようです。 研究員として採用されると、川村さんは研究に専念することになりますが、結果的には、それまでとあまり変わらない生活を送りました。 転落 採用期間が終了しました。しかし、就職はありません。教授もこの点になると面倒を見てくれるわけでもなく、オーバードクターとして研究室に残ることを勧めてきます。実家の両親は定年が近づき、自分たちの意に背いて進学し続けている川村さんのことを快く思っておらず、何を言っても無駄だと諦めていました。 川村さんは生活がやっていけなくなりました。この段階になって初めてアルバイトをしようと動き出しますが、30間近で職務経験の全くない川村さんには、アルバイトといえども厳しいものがあります。20前後の学生たちに奪われていくのでした。 研究職としての就職自体を諦めて、別の方向で仕事を探そうと思いましたが、年齢と職務経歴がネックとなって、採用してもらえません。ある会社の一般事務職を受けたときのことです。履歴書には博士課程まで進学したことや特別研究員に採用されたことなどを書いていましたが、それらは一般企業ではまったくといってよいほどどうでもよかったのです。ここでも川村さんは落とされましたが、採用されたのは、いわゆるDQN大学を中退した20前後の人でした。会社側の言い分では、業務を遂行する能力には大差はなく、年齢も若いため将来性があることを理由に挙げられたようです。 標準修学年限を過ぎた川村さんは奨学金を借りることはできず、今更実家からの仕送りに頼ることもできず、生活費がやりくりできない状況の中で、学費を納めることはもはや不可能でした。今まで甘い言葉を書けてくれていた教授も、特別研究員の採用終了後は、川村さんに冷たくなりました。それもそのはずです。教授にはもう、川村さん以外の「かわいい学生」がいたのです。後輩に当たる学生は、この時ちょうど大学4回生。かつて川村さんに対して行ったのと同じやり方で教授から必死で口説かれているのでした。教授のやっていることは、指導ではなく、妾に接するようなものでした。かわいい女を見ると自分の妾にするために必死でくどき、自分のものにしてさんざんに弄んだあげく、新しい女を見つけると、さっさと乗り換えて捨てていくのです。 学費が払えなくなった川村さんはやむなく退学することになりました。仕事がないため収入の目処は立ちませんが、支出だけは抑えたいと考えた苦肉の策です。 遺棄された若手研究者 午前4時、とあるパン工場の駐車場に川村さんの姿がありました。ここからトラックにパンを積み込み、配達をして回る仕事をしているためです。今まで済んでいた家の家賃が払えなくなったため、退学と同時に家を出て、社員寮のあるこの工場にやってきました。今までに購入した書籍等は古書店に売りお金に換え、生活に最低限必要なものだけをもっての引っ越しでした。周囲は自分より若い人たちばかりで、大学院まで出た人などいませんが、これを逃すと仕事がないため、不平不満をいわずに働いています。 しかし、話はこれだけでは終わらないのです。川村さんは大学院進学後、奨学金を借りていました。それを毎月少しずつ返還していかなければならないのでした。けっして多くはない給料の中から、川村さんは奨学金の返還のためにお金を捻出しなければなりませんでした。 大学を卒業し、進学せずに働いていたなら、借金を背負い込むこともなかったでしょうし、もっと条件のよい仕事に就けていたでしょう。博士課程に進学する前に就職していても、まだ途はあったでしょう。しかし、30近い川村さんを新卒者として採用してくれるところはなく、職務経験のない川村さんは経験者として採用されることもできませんでした。 学術振興会から特別研究員として採用されてしまい、将来有望な若手研究者であるかのような錯覚に陥ってしまったことは本人にも責任があるでしょうが、川村さんだけを責めるわけにはいかないと思います。 まず、無責任な進学指導を行った教授です。川村さんを多重債務者のようにしたのはこの教授の責任でしょう。お金に困っている人に次から次へと金融屋を紹介している人たちのしていることと似ています。(借金の取り立てをする怖いお兄さんたちは出てこないでしょうが) 次に学術振興会の問題です。特別研究員制度を運用している学術振興会は、特別研究員の採用後の進路についてある程度把握できているはずです。研究者として採用されない蓋然性についても承知していることでしょう。それにも関わらず、他の途があるかも知れない若者を特別研究員として採用し、研究に専念するというタテマエから副業を禁止することによって囲い込み、税を財源とする予算からばらまきをやるから自分たちの腹は痛くなく、期間が満了すれば囲い込んでいた若者を放流し、あとは自己責任。国民から集めたお金を無責任にばらまいて、まったく責任はもたないという体質です。囲い込まれてさえいなければ、大学院などさっさと辞めて他の途に行くこともできたでしょう。生活費を稼ぐためにアルバイトをして、そこで仕事の経験を積むこともできたでしょう。そうすれば、仮に研究者として採用されないことが分かったときにも少しは有利になるでしょう。しかし、そうした可能性すら奪ってしまったのです。奪っておいて、最後には遺棄するのです。 引きこもりやニート、ワーキングプアは社会問題となっています。30過ぎて無職、職歴なしという厳しい状況に川村さんは立たされています。しかし川村さんは自ら進んでニートになったのではありません。そして、同じような状況にある人たちはたくさんいます。創作童話「博士(はくし)が100にんいるむら」によれば、100人の博士がいれば8人が行方不明か死亡とされています。大学側にとっては川村さんは行方不明という扱いになるのでしょうが、出ていった人のことは無関心なのです。教授は川村さんの退学後も今まで通り平然と大学にいます。そして第二第三の川村さんを誘惑しているのです。他方、学術振興会も第二第三の川村さんを特別研究員として採用し、一定期間が経過した後は捨てています。こうした状況は変わるどころかますます加速しているといってよいでしょう。 川村さんは、教授と日本学術振興会によって持ち上げられ、使い捨てられたのです。教授と日本学術振興会との共同正犯なのです。 |